ラッセル・クロウ主演・監督
タイムリミットは8時間。生死を賭けたラストゲーム。

ポーカー・フェイス 裏切りのカード

INTRODUCTION
『ヴァチカンのエクソシスト』(23)、『アオラレ』(21)など、確かな存在感と類まれなる実力で不動の人気を誇る俳優ラッセル・クロウが、『ディバイナー 戦禍に光を求めて』(14)以来、2度目の主演×監督を務めた注目作!
『スタンド・バイ・ミー』(86)を思わせる、無鉄砲な少年らの青春時代をみずみずしく映し出し、時代が現代に切り替わると、先の読めないサスペンス、侵入者により事態が変わっていくクライムスリラー、秘密に迫る人間ドラマなど、あらゆるジャンルを盛り込んだ力作を完成させた。
STORY
オンライン・ポーカーゲームの開発で
莫大な富を得た億万長者ジェイク(ラッセル・クロウ)。
彼は、長らく疎遠だった幼なじみを自身の邸宅に招待し、
大金を懸けたポーカーゲームを開催しようと提案する。
最初は昔話に花を咲かせていた参加者たちだったが、
いつしか冷や汗が流れ出し、発熱と吐き気に襲われてしまう。
そこでジェイクは彼らにこう告げるのだった
「毒を盛った」と。
ゲームが進むにつれて見えてくる彼らの秘密とジェイクの関係。
そこに予定外の侵入者まで現れ、
事態は収拾不可能なパニックに陥っていく。
REVIEW
♪akira
(翻訳ミステリー・映画ライター)
ISO
(ライター)
岡本敦史
(ライター・編集者)
くれい響
(映画評論家)
澤井健
(漫画家・イラストレーター)
松崎健夫
(映画評論家)
ギンティ小林
(ライター/『ばちあたり怪談』著者)
ラッセル・クロウの地元愛満載の一作
♪akira
(翻訳ミステリー・映画ライター)
昨年、『ヴァチカンのエクソシスト』でおそらく誰もが想像しなかった<最強エクソシスト神父>という新キャラで全国の映画ファンを狂喜させるという快挙を成し遂げた還暦間近のラッセル・クロウ。思い返せば『L.A.コンフィデンシャル』のけだるさ満開セクシー刑事とか『グラディエーター』の不屈の将軍マキシマスとか『アオラレ』のサイコ運転手とか、キャラも服装もバラエティに富んでいる。そんな彼の最新公開作『ポーカー・フェイス/裏切りのカード』では、なんとIT業界の億万長者ジェイク・フォーリー役だ。豪快神父の次は大富豪……とキャラの振り幅が大きすぎて楽しい(笑)。二度目の監督作品となった『ポーカー・フェイス/裏切りのカード』でクロウは主演の他に共同脚本も兼務しているが、実はそれだけではない。劇中で歌われる曲のほとんどが彼のオリジナルで、演奏も自分のバンド、インドア・ガーデン・パーティが担当。まさにラッセル・クロウによるラッセル・クロウのための映画であり、ファン垂涎の一作と言える。ところがこの映画、他にも徹底していることがある。クロウがニュージーランド出身で、引越し先のオーストラリアで子役からキャリアをスタートさせたことをご存知の方も多いと思う。もともと本作はマイアミが舞台で監督も別人が予定されていたが、新型コロナの影響で頓挫したという。紆余曲折を経て自分の監督作となった本作で、クロウは舞台をシドニーに移し、リアム・ヘムズワースをはじめ主要キャラのほとんどにオーストラリア出身の俳優をキャスティング。冒頭はニューサウスウェールズ州立美術館でロケをし、美術品コレクターという設定のため、フォーリー家に飾ってある絵画もオーストラリアのアーティストたちによる本物、しかもそのうちいくつかは本人所有のものだとか。撮影をすることで地元の人たちの雇用の機会を増やしたいというオーストラリアへの地元愛にあふれた作品なのだ。往年の短編ミステリのような味わいがある本作、クロウの珍しい(?)高級スーツ姿とともに、オーストラリアの自然も堪能してはいかがだろう。
ラッセル・クロウはデカ盛りがお好き
ISO
(ライター)
『ヴァチカンのエクソシスト』で重量級神父を演じ、映画デビュー33年目にしてファンアートが数多く生まれる奇跡のブレイクを果たしたラッセル・クロウ。かくいう私もクロウ熱烈サポーターなのだが、そのきっかけは中学時代に観た『グラディエーター』だ。マキシマスを演じたクロウの西洋彫刻のような肉体、荒々しくも気高い立ち姿、憤怒に燃えながら優しさを宿した瞳、そして何より復讐鬼となった剣闘士を体現した鬼気迫る演技。当然名匠リドリー・スコットの手腕があってこそだが、眼前に映るクロウの一挙手一投足に私は釘付けとなった。更に『インサイダー』や『ビューティフル・マインド』での繊細な演技で俳優としての器量を知り、見事クロウ沼へとハマったのである。俳優以外にもロック歌手、慈善家、ラグビーチームオーナーといった顔を持つクロウだが、初めてメガホンを取ったのが主演も兼ねた『ディバイナー 戦禍に光を求めて』だ。一面的な歴史描写が物議を醸しながらも、本国オーストラリアでは興行・批評的に大成功。歴史劇に親子愛、異国での恋愛とジャンルが渋滞しつつも丁寧な画作りや演出、俳優の魅力の引き出し方は秀逸で、クロウは監督デビュー作にして多くの映画製作に携わってきた経験値を証明してみせた。その後『ナイスガイズ!』などのコメディリリーフ的役柄で茶目っ気を見せたかと思いきや、煽り運転防止啓発映画『アオラレ』の短気な極悪巨漢役でファンを震え上がらせたりと一層演技の幅を広げるラッセルが、今回満を辞して放つ監督二作目が『ポーカー・フェイス』である。監督・主演に加え、初の脚本も務めたこの映画で判明したのは、ラッセルはその図体の通りデカ盛り癖があるということ。前監督作もジャンルのミックスフライ定食であったが、本作では更に盛る。ジュブナイル映画的冒頭からスピリチュアル、ギャンブル、デスゲーム、クライムとあらゆるジャンルを経由し、最後には家族愛で完食。決してすべてが健全に機能している訳ではないが、次々と味が変わる意外性は確かな魅力だろう。一歩間違えば闇鍋状態になりかねないところ、クロウを中心としたキャスト陣の堅実なアンサンブルと撮影が作品の調和を保つ。おかげでデカ盛りなのに後味は爽やか。本作で監督としての癖が見えてきたクロウは、次作では一体どんなデカ盛り映画を見せてくれるのだろうか。クロウ熱烈サポーターとして、腹を空かせて待ちたいと思う。
クロウ流ホーム・ムービー
~犯罪映画にアートと地元愛を添えて~
岡本敦史
(ライター・編集者)
 ラッセル・クロウが型通りの無難なジャンルムービーなど作るわけがなかった。そういう意味では期待以上の仕上がりである。おそらくプロット自体はタイトな密室群像スリラーとしても成立したはずだが、監督・脚色をつとめたクロウはそれに飽き足らず、喪失や友情、家族の絆といった人生の哀歓、雄大な自然美、さらにアートに関する深い造詣まで散りばめてみせる。この「俺流アレンジ」を突き詰めれば、いつか勝新ばりの監督作をモノにする日もやってくるかもしれない。
 加えて強い印象を残すのが、思いがけないほどの故郷オーストラリアへの愛。郷愁と旅情を誘うロケーションの美しさは「お国自慢」のようでもあり、劇中に登場する絵画やワインに至るまで「国産」にこだわる。キャスティングにもそれは色濃く反映されていて、ハリウッド進出前から付き合いのある俳優陣も多く顔を見せる。
 主人公ジェイクの旧友たち……アレックス役のエイデン・ヤングとは1993年の『Love In Limbo』で、ポール役のスティーヴ・バストーニとはTVドラマ『Police Rescue』の一編で1992年に共演。マイケル役のリアム・ヘムズワースは1990年生まれなので、25歳も年下なのに幼馴染み役?と面食らうが、豪州出身なので参加資格アリということだろう(ちなみに妖艶なディーラーを演じるエルサ・パタキーは兄クリスの奥さん)。アンドリュー役のRZAは、かつて監督作『アイアン・フィスト』(2012)に出てもらったクロウへの恩返し的に登場するが、この濃密な現場のホームゲーム感には多少身構えたかもしれない。
 前半に登場する老シャーマン役のジャック・トンプソンは『戦場のメリークリスマス』(1983)にも出演したベテラン俳優で、クロウとは『人生は上々だ!』(1994)で親子役を演じている。また、回想シーンに顔を見せる医師役のジャクリーン・マッケンジーは、クロウの出世作『ハーケンクロイツ/ネオナチの刻印』(1992)でともに「新世代の台頭」を強烈に印象付けた役者仲間。クロウは初監督作品『ディバイナー 戦禍に光を求めて』(2014)にも彼女を重要な役で招いており、その絆が胸を打つ。
 だが、一番の儲け役は、業界通の絵画泥棒に扮した怪優ベネディクト・ハーディだ。近年『アップグレード』(2018)などで注目を集める豪州きっての個性派だが、実は『ディバイナー』にも端役で参加。本作では「アボリジナル・アートは“分かる人には分かる”ジャンルだから値段がつきにくい」なんてセリフで国内の先住民蔑視を皮肉ってみせる。単純な故郷礼賛では終わらないところにクロウの性格がよく出ていて、やっぱりイメージどおりだ。
ラッセル・クロウが仕掛ける
スリルと人情が盛大に詰まった逸作
ギンティ小林
(ライター/『ばちあたり怪談』著者)
 ブラッド・ピットの一歳下、キアヌ・リーブスとはタメ歳の俳優で、歌手活動をしていた十代の時、 「I Just Wanna Be Like Marlon Brando(マーロン・ブランドのようになりたいだけ)」という歌を唄い、今では見事、マーロン・ブランドのようなボディのオーナーになったラッセル・クロウ。
 『ポーカー・フェイス/裏切りのカード』(22年)は彼が監督する劇場用映画2作目になる。彼は監督デビュー作『ディバイナー 戦禍に光を求めて』(14年)を監督した経緯について、こう語っている。 「この物語に感動した僕は、主演するだけでなく監督もしなければいけない、と思ったんだ」
 二作目となる『ポーカー・フェイス/裏切りのカード』(22年)も当初は監督をするつもりはなかった。それなのに監督をしたのには、ラッセル・クロウの人情がスパークしたハートフルな理由がある。
 もともと本作は『バトルフロント』(13年)のゲイリー・フレダーが監督する予定だった。しかし、彼はクランクイン5週間前、脚本が完成していない状態で降板してしまう。そんな時にクロウは、本作のプロデューサーから「無理なお願いだとわかっていますが、主演だけでなく監督も引き受けて欲しい! 脚本も完成させて欲しい!」と涙目でお願いされた。
 しかし、当時のラッセルは10日前の2021年3月30日、映画撮影のケータリング業を営んでいた父が亡くなり、傷心の日々を送っていた。どう考えても、そんなハードな仕事を引き受けることができる状態ではない。だが、ラッセルは思った。
「父は、いつも困っている人たちを見捨てることはなかった」
 この頃、彼が暮らすオーストラリアはコロナによるロックダウンに突入しようとしていた。6歳の頃から芸能活動をしているラッセルには、オーストラリアの映画業界には大勢の友人がいる。ロックダウンで、映画の撮影が少なくなれば彼らの生活が成り立たなくなる……。不純な動機かもしれないが、自分が監督を引き受ければ、彼らに仕事を与えることができる。彼はクラインクイン5週間前なのに脚本も出演者も決まっていない、本作の監督を引き受けることにした。
 脚本も担当することになった彼は、まず当初はアメリカだった舞台をオーストラリアに変更した。これでオーストラリアの俳優とスタッフを雇うことができる。彼は、まだ脚本がない状態でリアム・ヘムズワースたちオージー俳優仲間や朋友のRZAに直接電話して出演交渉をした。
 そこから9日間かけてボロボロだった脚本をリライトした。が、第一稿は周りから酷評された。その後、4日間かけて第二稿を書き上げた。そんなハードな日々の間、彼は常に亡き父のことが念頭に置いていた。映画の最後を飾るセリフは、生前の父が、悩みを抱えていた甥にアドバイスした時の発言を引用している。そして映画は完成した。
 主人公の億万長者(ラッセル・クロウ)が、自宅に幼なじみたちを集めてポーカー大会を開催しようとする。招待された旧友たちは皆、ラッセルに対して墓場まで持っていきたいハードな秘密を持っていた。そのためラッセルは、彼らに対してポーカー大会の皮をかぶったクールなトラップを仕掛けようとしていた……。
そしてポーカー大会当日、ラッセルの企みを知った旧友たちがドン引きしているに、ラッセル邸にショットガンで武装した強盗集団が乗り込んできた……という、まるで同級生に復讐しようとして開催した同窓会をやっている居酒屋に武装強盗が乱入してくる級の厭なビッグサプライズの連続コンボ。その結果、劇中の旧友たちだけでなく観客もじっくり&たっぷり震えあがらせてクタクタにしたと思ったら、クライマックスではホロリと泣かせて最終的には「なんかイイ時間を過ごしたかも……」と思わせる、まるで1ミリ先も読めない熟練したパワハラ芸のような映画になってしまった……が、だからこそ、この映画は面白い! 『グラディエーター』(00年)や『ヴァチカンのエクソシスト』(23年)といった彼の主演作を観ればわかるように、(ムッとした顔が素敵な)ラッセル・クロウには一寸先は地獄かもしれない修羅場が似合う。だから本作は実にラッセルな、否、全編にわたりブレーキが壊れたくらいラッセルな映画だ!
是非、ラッセルが盛大に仕掛ける俺ジナルすぎるスリルと人情をスクリーンで堪能して欲しい!
観る者の感情を揺さぶりまくる
“クロウ版『サニー 永遠の仲間たち』”
くれい響
(映画評論家)
フェラーリのスクーターで悪魔祓いに駆け付ける神父のフォルムが、サーカスの曲芸クマにしか見えないギャップもあり、日本でもファンアートを中心に話題になった“ヴァチクソ”こと『ヴァチカンのエクソシスト』のラッセル・クロウ。ラジー賞ノミネートもクソくらえとばかり、『ディバイナー 戦禍に光を求めて』以来、8年ぶりに放つ監督作『ポーカー・フェイス/裏切りのカード』。ここでも自身のオーストラリア愛に加え、潔いほどにやりたいことぜんぶ乗せだったりする。
『スタンド・バイ・ミー』や「ストレンジャー・シングス 未知の世界」のようなノスタルジックな少年譚で始まったと思えば、祈祷師・ビル(演じるは『戦場のメリークリスマス』のヒックスリー俘虜長こと、ジャック・トンプソン!)の登場によって、“映像詩人”テレンス・マリックばりにスピリチュアルなトリップ体験に導く。観る者を煙に巻くオープニングに圧倒されるも、舞台はミステリの定番といえる“クローズド・サークル”な人里離れた邸宅で行われるギャンブル大会。それが自白剤込みの心理ゲームと化したかと思えば、招かざる訪問者の乱入によって、サスペンス映画の定番“ホーム・インベーション(家宅侵入)”と化す。このように、ときに乱暴に観る者の感情を揺さぶりまくるジェットコースターな展開は、ハリウッドで成功を収め、短気な性格と粗暴な振る舞いゆえ、問題が絶えなかった若き日のクロウの姿を見ているようだ。だが、クロウ演じるジェイクの思惑が明らかになり、クロウ率いるバンドIndoor Garden Partyによるバラード「We Will Always Be together(俺たちはいつも一緒にいる)」が流れるエンドロールが流れたとき、娘のATM代わりになった60歳目前の男のセンチメンタルな哀愁が漂う。そういう意味では、旧友であるRZAらを集めて撮った“クロウ版『サニー 永遠の仲間たち』”といえる。
 ちなみに、18年に15年間連れ添った妻と離婚したクロウは、彼女との思い出を断ち切るために、『グラディエーター』の胸当てなど、出演作で使った小道具や所有する絵画や腕時計などを出品したオークションを開催した。そのタイトルは「Art of Divorce(離婚のアート)」。ひとつの別れをアートと捉え、イベントに変えたセンスとユーモアを踏まえると、富と名声を手にしたクロウの分身でもあるジェイクが本作で、幼馴染たちに仕掛けるイベントは「Art of Death(死のアート)」と呼べるのかもしれない。
加齢が問題にされない唯一のスター
澤井健
(漫画家・イラストレーター)
昨年7月に公開された『ヴァチカンのエクソシスト』は日本で異例のスマッシュヒットになり、ファンアートをはじめとしたSNSの押し活が長期にわたって盛り上がり続けた。海外のホラー作品、とりわけエクソシストものがヒットすることが稀ならば、ラッセル・クロウ主演の映画がバズることも珍しい。それどころか丸々太って強面のオジイチャンと化したクロウを「カワイイ」と称える声が多数。『ヴァチカンのエクソシスト』は『メン・イン・ブラック』や『コードネームU.N.C.L.E.』と同様のバディムービーとして受け入れられたのだ。そういえばクロウには『ナイスガイズ!』(2016年。ライアン・ゴズリング共演)というバディムービーの傑作がすでにあった。
ラッセル・クロウは64年生まれの59歳。同世代のスターといえば、キアヌ・リーヴスが同い年。ブラッド・ピットとジョニー・デップが60歳でトム・クルーズが61歳。同じオーストラリア出身のヒュー・ジャックマンが55歳だ(註1)。こうして見ると太って歳相応のルックスなのはクロウだけ。いや他が若すぎるんだけど。
「コワモテの荒くれ野郎(がときおり見せる愛嬌)」という個性でハリウッドデビューしたクロウだが、年を取るごとに体型も愛嬌部分もボリュームアップ。『マン・オブ・スティール』(2013年)や『ノア 約束の舟』(2014年)ではさすがにウエストニッパーで体型補正してヒーロー的な役柄に挑んだが、それ以外では平気で太って白髪も染めずに素のまんま。でも、それが映画ファンに愛された。彼の独特の可愛らしさは加齢によって醸成された部分が大きく、それは外見的な若さと相容れない(同様のスターにアンソニー・ホプキンスがいて、こちらも若いころはクロウ並みに「暴れん坊」で有名だった)。前述のラインナップを見てもわかる通り、同世代で「老け」が許されているスターはクロウだけだ。もちろん当人にしてみれば「実力に自信があるから平気で老けてる」という側面もあるだろう。 そんなクロウが監督、脚本、主演を兼ねた新作『ポーカー・フェイス』では愛嬌を封印してコワモテ要素を強めにチューンアップ。役柄を慮ったのか、それとも最低限のナルシシズムが発露したのかは定かでないが、出演者の中でクロウに限っては太った体型を横から撮らず、クローズアップと正面ショットが多い絵面。まあ大スターなんだからそれくらいはね…とはいえ、幼なじみで同年代設定の共演者の中でも一番堂々と老けているロウなのだった。

(註1)正確にはクロウはニュージーランド生まれ。4歳のころオーストラリアに移住した。
タフなイメージと繊細さとを兼ね備え、
多彩な才能をも持つ異邦人のスター
松崎健夫
(映画評論家)
<荒々しい男性像>或いは<気骨のある男性像>が導く、強靭な信念のようなもの。それは、ラッセル・クロウという俳優に対する表層的なイメージだろう。彼の厳つい体型や低めの声は、そのイメージを強化させている。また、暴力沙汰を起こし、公共の場で暴言を吐いてきたという私生活における粗野な姿も、タフなイメージの由縁だ。ところが、彼の強いまなざしの向こう側には、時おり芯の弱さや繊細さを感じさせるのである。相手への視線を外した瞳の奥に、ガラスのような脆さを覚える瞬間があるからだ。斯様なアンバランスさに演技力が加わることで、例えば『ビューティフル・マインド』(01)で演じた数学者ジョン・ナッシュ役のように、作品の持つ“秘密”に対して貢献することもある。

ラッセル・クロウにとって監督2作目となる『ポーカー・フェイス/裏切りのカード』(22)では、主演と脚本を兼任。彼が演じるジェイクのキャラクターに剛柔併せ持たせていることは、己の持つアンバランスなイメージを熟知しているからなのだろう。思い返せば、初監督した主演作『ディバイナー 戦禍に光を求めて』(14)でも、捕虜となった息子を救出するため戦場に赴く屈強な父親役を演じながら、妻や息子たちを亡くした喪失感を纏っていた。今作で演じた億万長者ジェイクの行動原理となる、ある“秘密”に説得力を及ぼす由縁もまた、ラッセル・クロウという俳優が持つアンバランスさの賜物なのである。それは、彼がニュージーランド出身で、ヨーロッパやアメリカだけでなく、たとえオーストラリアにいたとしても、常に異邦人であるという点とも無縁ではない。

オーストラリアのアカデミー賞と呼ばれるAACTA。ラッセル・クロウは、『ハーケンクロイツ/ネオナチの刻印』(92)で主演男優賞、『ディバイナー 戦禍に光を求めて』では作品賞に輝いている。その国内評価は、同じオーストラリアで映画のキャリアを積んだという縁のある先人メル・ギブソン(生まれはニューヨーク)と双璧を成している。一方、同年代であるメル・ギブソンとケヴィン・コスナーとの間には、アカデミー賞で作品賞と監督賞に輝いたという共通点がある。ラッセル・クロウの監督作はアカデミー賞での評価に至っていないものの、ふたりには縁のない主演男優賞に輝いているという点では優位にあるのかも知れない。また、ケヴィン・コスナーは自らのバンドを率いてアルバムを発売しているが、ラッセル・クロウも30オッド・フット・グランツというバンドでボーカルを担当し、これまで3枚のアルバムを発売。その才能は、『ポーカー・フェイス/裏切りのカード』に流れるすべての楽曲を手掛けていることにも表れているのである。