ラッセル・クロウが型通りの無難なジャンルムービーなど作るわけがなかった。そういう意味では期待以上の仕上がりである。おそらくプロット自体はタイトな密室群像スリラーとしても成立したはずだが、監督・脚色をつとめたクロウはそれに飽き足らず、喪失や友情、家族の絆といった人生の哀歓、雄大な自然美、さらにアートに関する深い造詣まで散りばめてみせる。この「俺流アレンジ」を突き詰めれば、いつか勝新ばりの監督作をモノにする日もやってくるかもしれない。
加えて強い印象を残すのが、思いがけないほどの故郷オーストラリアへの愛。郷愁と旅情を誘うロケーションの美しさは「お国自慢」のようでもあり、劇中に登場する絵画やワインに至るまで「国産」にこだわる。キャスティングにもそれは色濃く反映されていて、ハリウッド進出前から付き合いのある俳優陣も多く顔を見せる。
主人公ジェイクの旧友たち……アレックス役のエイデン・ヤングとは1993年の『Love In Limbo』で、ポール役のスティーヴ・バストーニとはTVドラマ『Police Rescue』の一編で1992年に共演。マイケル役のリアム・ヘムズワースは1990年生まれなので、25歳も年下なのに幼馴染み役?と面食らうが、豪州出身なので参加資格アリということだろう(ちなみに妖艶なディーラーを演じるエルサ・パタキーは兄クリスの奥さん)。アンドリュー役のRZAは、かつて監督作『アイアン・フィスト』(2012)に出てもらったクロウへの恩返し的に登場するが、この濃密な現場のホームゲーム感には多少身構えたかもしれない。
前半に登場する老シャーマン役のジャック・トンプソンは『戦場のメリークリスマス』(1983)にも出演したベテラン俳優で、クロウとは『人生は上々だ!』(1994)で親子役を演じている。また、回想シーンに顔を見せる医師役のジャクリーン・マッケンジーは、クロウの出世作『ハーケンクロイツ/ネオナチの刻印』(1992)でともに「新世代の台頭」を強烈に印象付けた役者仲間。クロウは初監督作品『ディバイナー 戦禍に光を求めて』(2014)にも彼女を重要な役で招いており、その絆が胸を打つ。
だが、一番の儲け役は、業界通の絵画泥棒に扮した怪優ベネディクト・ハーディだ。近年『アップグレード』(2018)などで注目を集める豪州きっての個性派だが、実は『ディバイナー』にも端役で参加。本作では「アボリジナル・アートは“分かる人には分かる”ジャンルだから値段がつきにくい」なんてセリフで国内の先住民蔑視を皮肉ってみせる。単純な故郷礼賛では終わらないところにクロウの性格がよく出ていて、やっぱりイメージどおりだ。
ラッセル・クロウが仕掛ける スリルと人情が盛大に詰まった逸作
ギンティ小林
(ライター/『ばちあたり怪談』著者)
ブラッド・ピットの一歳下、キアヌ・リーブスとはタメ歳の俳優で、歌手活動をしていた十代の時、 「I Just Wanna Be Like Marlon Brando(マーロン・ブランドのようになりたいだけ)」という歌を唄い、今では見事、マーロン・ブランドのようなボディのオーナーになったラッセル・クロウ。
『ポーカー・フェイス/裏切りのカード』(22年)は彼が監督する劇場用映画2作目になる。彼は監督デビュー作『ディバイナー 戦禍に光を求めて』(14年)を監督した経緯について、こう語っている。
「この物語に感動した僕は、主演するだけでなく監督もしなければいけない、と思ったんだ」
二作目となる『ポーカー・フェイス/裏切りのカード』(22年)も当初は監督をするつもりはなかった。それなのに監督をしたのには、ラッセル・クロウの人情がスパークしたハートフルな理由がある。
もともと本作は『バトルフロント』(13年)のゲイリー・フレダーが監督する予定だった。しかし、彼はクランクイン5週間前、脚本が完成していない状態で降板してしまう。そんな時にクロウは、本作のプロデューサーから「無理なお願いだとわかっていますが、主演だけでなく監督も引き受けて欲しい! 脚本も完成させて欲しい!」と涙目でお願いされた。
しかし、当時のラッセルは10日前の2021年3月30日、映画撮影のケータリング業を営んでいた父が亡くなり、傷心の日々を送っていた。どう考えても、そんなハードな仕事を引き受けることができる状態ではない。だが、ラッセルは思った。
「父は、いつも困っている人たちを見捨てることはなかった」
この頃、彼が暮らすオーストラリアはコロナによるロックダウンに突入しようとしていた。6歳の頃から芸能活動をしているラッセルには、オーストラリアの映画業界には大勢の友人がいる。ロックダウンで、映画の撮影が少なくなれば彼らの生活が成り立たなくなる……。不純な動機かもしれないが、自分が監督を引き受ければ、彼らに仕事を与えることができる。彼はクラインクイン5週間前なのに脚本も出演者も決まっていない、本作の監督を引き受けることにした。
脚本も担当することになった彼は、まず当初はアメリカだった舞台をオーストラリアに変更した。これでオーストラリアの俳優とスタッフを雇うことができる。彼は、まだ脚本がない状態でリアム・ヘムズワースたちオージー俳優仲間や朋友のRZAに直接電話して出演交渉をした。
そこから9日間かけてボロボロだった脚本をリライトした。が、第一稿は周りから酷評された。その後、4日間かけて第二稿を書き上げた。そんなハードな日々の間、彼は常に亡き父のことが念頭に置いていた。映画の最後を飾るセリフは、生前の父が、悩みを抱えていた甥にアドバイスした時の発言を引用している。そして映画は完成した。
主人公の億万長者(ラッセル・クロウ)が、自宅に幼なじみたちを集めてポーカー大会を開催しようとする。招待された旧友たちは皆、ラッセルに対して墓場まで持っていきたいハードな秘密を持っていた。そのためラッセルは、彼らに対してポーカー大会の皮をかぶったクールなトラップを仕掛けようとしていた……。
そしてポーカー大会当日、ラッセルの企みを知った旧友たちがドン引きしているに、ラッセル邸にショットガンで武装した強盗集団が乗り込んできた……という、まるで同級生に復讐しようとして開催した同窓会をやっている居酒屋に武装強盗が乱入してくる級の厭なビッグサプライズの連続コンボ。その結果、劇中の旧友たちだけでなく観客もじっくり&たっぷり震えあがらせてクタクタにしたと思ったら、クライマックスではホロリと泣かせて最終的には「なんかイイ時間を過ごしたかも……」と思わせる、まるで1ミリ先も読めない熟練したパワハラ芸のような映画になってしまった……が、だからこそ、この映画は面白い! 『グラディエーター』(00年)や『ヴァチカンのエクソシスト』(23年)といった彼の主演作を観ればわかるように、(ムッとした顔が素敵な)ラッセル・クロウには一寸先は地獄かもしれない修羅場が似合う。だから本作は実にラッセルな、否、全編にわたりブレーキが壊れたくらいラッセルな映画だ!
是非、ラッセルが盛大に仕掛ける俺ジナルすぎるスリルと人情をスクリーンで堪能して欲しい!
観る者の感情を揺さぶりまくる “クロウ版『サニー 永遠の仲間たち』”
くれい響
(映画評論家)
フェラーリのスクーターで悪魔祓いに駆け付ける神父のフォルムが、サーカスの曲芸クマにしか見えないギャップもあり、日本でもファンアートを中心に話題になった“ヴァチクソ”こと『ヴァチカンのエクソシスト』のラッセル・クロウ。ラジー賞ノミネートもクソくらえとばかり、『ディバイナー 戦禍に光を求めて』以来、8年ぶりに放つ監督作『ポーカー・フェイス/裏切りのカード』。ここでも自身のオーストラリア愛に加え、潔いほどにやりたいことぜんぶ乗せだったりする。
『スタンド・バイ・ミー』や「ストレンジャー・シングス 未知の世界」のようなノスタルジックな少年譚で始まったと思えば、祈祷師・ビル(演じるは『戦場のメリークリスマス』のヒックスリー俘虜長こと、ジャック・トンプソン!)の登場によって、“映像詩人”テレンス・マリックばりにスピリチュアルなトリップ体験に導く。観る者を煙に巻くオープニングに圧倒されるも、舞台はミステリの定番といえる“クローズド・サークル”な人里離れた邸宅で行われるギャンブル大会。それが自白剤込みの心理ゲームと化したかと思えば、招かざる訪問者の乱入によって、サスペンス映画の定番“ホーム・インベーション(家宅侵入)”と化す。このように、ときに乱暴に観る者の感情を揺さぶりまくるジェットコースターな展開は、ハリウッドで成功を収め、短気な性格と粗暴な振る舞いゆえ、問題が絶えなかった若き日のクロウの姿を見ているようだ。だが、クロウ演じるジェイクの思惑が明らかになり、クロウ率いるバンドIndoor Garden Partyによるバラード「We Will Always Be together(俺たちはいつも一緒にいる)」が流れるエンドロールが流れたとき、娘のATM代わりになった60歳目前の男のセンチメンタルな哀愁が漂う。そういう意味では、旧友であるRZAらを集めて撮った“クロウ版『サニー 永遠の仲間たち』”といえる。
ちなみに、18年に15年間連れ添った妻と離婚したクロウは、彼女との思い出を断ち切るために、『グラディエーター』の胸当てなど、出演作で使った小道具や所有する絵画や腕時計などを出品したオークションを開催した。そのタイトルは「Art of Divorce(離婚のアート)」。ひとつの別れをアートと捉え、イベントに変えたセンスとユーモアを踏まえると、富と名声を手にしたクロウの分身でもあるジェイクが本作で、幼馴染たちに仕掛けるイベントは「Art of Death(死のアート)」と呼べるのかもしれない。